最終更新日 2024年5月27日
第1回長岡空襲の体験を聞く会を開催しました(掲載日R6.5.27)
5月18日(土)、今年度1回目の「長岡空襲の体験を聞く会」を開催し、市立南中学校の生徒を含む40人が空襲体験者の語りに耳を傾けました。
今回は、当時7歳だった伊丹功さんと、11歳だった土田ミヨさんからお話しいただきました。
伊丹さんは当時、旧制神田国民学校の1年生でした。当時、実家が洋品店を営んでおり、新品の衣類の仕入れはなく、古着を仕入れて販売していたことや雑貨も販売していたことなど、当時の様子をお話しされたほか、「防空壕の歌」を披露しました。長岡空襲の際には、簡素な造りだった家の防空壕には入らず、中島方面から水道町へ逃げ、その道中の小川で足が滑って靴が脱げましたが、それでも必死に逃げたそうです。後にその状況を体験画として描かれました。また、B29の翼に燃え盛る炎がキラキラと反射してきれいだと思ったが、周囲が明るく照らされて恐怖を感じたこと、浦瀬から悠久山までがサーチライトの光で照らされているのを見て日本軍が助けに来てくれたと思い、米軍にやり返したいと思った心情などもお話しされました。伊丹さんは市民写生会の実行委員会にも所属しており、当館にも体験画を寄贈してくださっていますが、体験画を描こうと思ったのは、長岡市政100周年事業として実施した体験画の募集を見たことがきっかけだったそうです。
土田さんは当時、旧制四郎丸国民学校の6年生でした。母とともに本家で生活をしており、長岡空襲の際は、母に起こされて山の上のお寺に向かって田んぼの畦道を逃げました。道中、近くに焼夷弾が落ちたときには、鼓膜が破れたり目玉が飛び出るのを防ぐため、親指を耳に入れ、残りの指で目を押さえ、学校で習ったとおりに行動しました。着いた先の柿の村で長岡方面を見ると、建物が燃えて朽ちたことで長生橋が大きく見えたとのことです。8月15日に玉音放送を聞いたときには、悔しさや悲しさといった感情は何も湧かなかったそうです。今回の土田さんのお話では空襲後の生活についても触れ、学校が始まり疎開先にある旧制上組国民学校に通うことができたが、被害の大きかった四郎丸地区の自分が通うことは惨めな気がして、通学距離は遠くなるけれど元々通っていた旧制四郎丸国民学校に通ったという、子どもながらに複雑な気持ちを感じたことをお話しされました。
おふたりとも、今こうして生きていることに感謝している。戦争は絶対にしてはいけないと訴えました。
また、今回は当館運営ボランティアである今井和江さんから長岡空襲紙芝居「みちこのいのち」を上演していただきました。今井さんの感情が込められた臨場感あふれる演技に、目頭を押さえる参加者もいました。
今年度2回目の「長岡空襲の体験を聞く会」は、6月22日(土)午後1時30分から開催します。参加は無料、事前の申込みは不要です。当時の体験談を聞ける貴重な機会ですので、ぜひお越しください。
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