最終更新日 2019年12月12日
長岡空襲体験画展-小国地域展・与板地域展-を開催(掲載日R1.12.12)
11月8日(金)から17日(日)までおぐにコミュニティセンターで、また、11月19日(火)から28日(木)までよいたコミュニティセンターで、「長岡空襲体験画展」を開催しました。小国地域と与板地域ではいずれも初めての開催で、両地域にお住まいの皆さんから体験画を御覧いただきました。
小国地域展の開催期間中には、地元の小・中学生が平和学習のために会場を訪れ、長岡戦災資料館顧問が体験画や写真、焼夷弾の模型などの被災資料を用いて長岡空襲について解説しました。そして、小国小学校平和学習会では当館運営ボランティアの木村初江さんが、小国中学校平和学習会では同じくボランティアの山谷恒雄さんが、自身の空襲体験談の語りをしました。木村さんは、長岡空襲紙芝居「みちこのいのち」の公演も行いました。
平和学習に参加した小・中学生は、74年前の長岡空襲や、平和の尊さについて真剣な表情で学んでいました。
夏休み企画事業を開催(掲載日R1.8.23)
8月11日(日)、夏休み企画事業として「戦災資料館に行ってみよう~親子で学ぶ長岡空襲~」と「長岡空襲史跡巡り」を開催しました。
「戦災資料館に行ってみよう~親子で学ぶ長岡空襲~」は、多くの子どもたちから戦災資料館に足を運んでもらうために平成26年から実施している催しで、今年は小学生の親子6組16人が参加しました。
互尊文庫職員による空襲関連図書の紹介や、長岡戦災資料館運営ボランティアである金子登美さんによる長岡空襲の説明に、子どもたちは熱心に耳を傾けていました。その後、今井和江さんによる、長岡空襲紙芝居「みちこのいのち」の公演では、参加者は実話をもとにした紙芝居に真剣に目を向けていました。
これをきっかけに、長岡空襲について理解を深め、戦争の恐ろしさ、平和の尊さについて今後も学び続けてもらいたいと思います。
「長岡空襲史跡巡り」は、市内の様々な空襲史跡をバスで巡る催しで、今年は小中学生を含む17人が参加しました。模擬原子爆弾投下地点跡地の碑や、平潟神社の戦災殉難者慰霊塔、長岡空襲爆撃中心点の碑、など計6か所を巡った後、戦災資料館を見学しました。とても暑い1日でしたが、講師である長岡戦災殉難者アドバイザー星貴さんによる各史跡の詳細な説明に、参加者は熱心に耳を傾けていました。
冊子「長岡空襲の体験記録」の第8集を発行しました。(掲載日R1.8.1)
「長岡空襲解説講座~長岡空襲の真実を知ろう~」を開催しました(掲載日 R1.7.26)
長岡空襲について多くのかたに理解を深めてもらうため、「長岡空襲解説講座~長岡空襲の真実を知ろう~」を開催しました。
74年前に左近に模擬原子爆弾が投下された日と同じ7月20日に開催し、20名のかたが参加ました。
講師は長岡戦災資料館のアドバイザーで、米軍資料の研究者でもある星貴さん。
例年よりもさらに模擬原子爆弾に迫った内容で、なぜ模擬原子爆弾が投下されたのか、その被害の状況など、詳しい説明がありました。8月1日の長岡空襲についても、研究に裏付けられた知識でわかりやすく、かつ、専門的な解説で、参加者は長岡空襲の真実に興味深く耳を傾けていました。
第11回長岡空襲殉難者追慕の集いを開催しました(掲載日R1.7.12)
7月7日(日)、当館3階学習室で、「長岡空襲殉難者追慕の集い」を開催しました。
毎年7月に開催しているこの集いは、今年で11回目を迎え、約80人のかたから御来場いただきました。
会場内には352名の遺影を展示し、長岡空襲で亡くなったかたがたを偲びました。
集いでは、当時7歳だった星野榮子さんが亡くなった御家族を偲び、空襲の際に飛び込んだ柿川で父に背負われ向こう岸に渡ったのが父との最後になったこと、いまでも父の大きな背中を覚えていること、家族で平潟神社に逃げるも、火の海となった境内で父と長弟とはぐれてしまい、火のなかから「かあちゃーん」と呼ぶ弟の声を母が聞いたことなどを、悲痛な思いとともにお話しされました。
そして、長岡少年少女合唱団が追慕の合唱を披露し、最後に会場にいる皆さんで「ふるさと」合唱をしました。
また、この日から「長岡空襲殉難者遺影展・住宅焼失地図展」を開催しています。8月31日(土)までとなります。ぜひ足をお運びください。
第2回長岡空襲の体験を聞く会を開催しました(掲載日R1.7.5)
6月22日(土)、今年度2回目の「長岡空襲の体験を聞く会」を開催し、第1回と同じく市立南中学校の生徒を含む50人が空襲体験者の語りに耳を傾けました。
今回は、当時15歳だった田中愛子さんと7歳だった松原和子さんのお二人から、それぞれお話しいただきました。
著名な書家である田中さんからは、長岡空襲の恐ろしさとラジオから終戦を聞いたときの様子を表す2枚の書を寄贈していただきました。
そして、戦時中に通学していた女学校が被服工場と化し、兵隊さんの肌着などの縫製を行ったことや、男性の先生が出征していったこと、シャツやズボンなどの外来語が禁止されていたことなどの学校生活のお話や、空襲時、病を患っていた母を看護師さんが背負って逃げようとしたが、看護師さんの腰が抜けて立てなくなり、自分も弟もどうすることもできずにいるところへ、戦地で足に貫通銃創を負い、自宅療養中で動けなかったはずの兄が駆け付け、母を背負って逃げることができたお話をしていただきました。
松原さんからは、空襲の夜に家族で家の裏手の防空壕に逃げるも火の勢いが凄まじく、氷の貯蔵庫である「雪しか」に向かうことにするも、忘れ物を取りに防空壕に戻った三女の洋子さんに焼夷弾が直撃して片足を失い、助けに行った父とともに家族と離れてしまい、明け方に二人の遺体を発見したが、真っ黒な炭の塊になってしまった姉を姉と認められずにいたところ、片足が無いことを見つけて認めるしかなかったお話をいただきました。
また、空襲から逃げて向かった雪しかで、軍人さんが近くの畑のかぼちゃをドラム缶で茹でて振舞ってくれた思い出から、いまでもかぼちゃは丸々1個を買い、切るのに苦労するたびに、軍人さんがどうやってかぼちゃを切ったのか思いを巡らせているとお話しされました。
第1回長岡空襲の体験を聞く会を開催しました(掲載日R1.5.30)
5月25日(土)、今年度1回目の「長岡空襲の体験を聞く会」を開催し、市立南中学校の生徒を含む50人が空襲体験者の語りに耳を傾けました。
今回は、当時10歳だった遠藤安一さんと小山悦子さんのお二人から、それぞれお話しいただきました。
遠藤さんからは、空襲の夜、避難した防空壕の天井に焼夷弾が直撃したため栖吉方面へ逃げ、栖吉川の土手から見上げた夜空が夕焼けのように赤く染まり、B29が落とす焼夷弾がすさまじい数の花火みたいで地獄のようだったというお話や、空襲後に家族と無事に再会できたことなどをお話しいただきました。
小山さんからは、当館の運営ボランティアであり、幼なじみでもある金子登美さんが聞き役となり、疎開していた蓮華寺の丘から見た市街地へ飛んでいくB29の羽がきれいだと思ったが、長岡にいる母と兄が無事か怖くなったこと、疎開先に来ない母と兄を捜して祖母と平潟神社へ行き、祖母から言われて無数の遺体を棒でひっくり返して確認したこと、防空壕の形に積み重なった遺体の山があったことなど、10歳の女の子にとってはむごすぎる経験をお話しいただきました。
今回の「長岡空襲の体験を聞く会」は、同年齢のお二人によるお話でしたが、それぞれ経験したことが異なっても戦争や空襲の残酷さを強く感じました。
また、今回は、長岡空襲紙芝居「みちこのいのち」を当館運営ボランティアの木村初江さんから上演していただきました。
さらに、この日から長岡空襲体験画展の後期展示も始まりましたので、ぜひご覧ください。
今年度2回目の「長岡空襲の体験を聞く会」は、6月22日(土)午後1時30分から開催します。
参加は無料です。当時のお話を聞ける貴重な機会ですので、ぜひお越しください。
長岡空襲体験画展オープニングセレモニーを開催しました(掲載日H31.4.23)
4月20日(土)、第13回目となる長岡空襲体験画展が始まりました。
初日のこの日はオープニングセレモニーを開催し、当館運営ボランティアの那須髙明さんが御自身の空襲体験談や、作品が生まれるきっかけになった出来事をお話ししました。
体験画展は、前期は5月12日(日)まで、後期は5月25日(土)から6月16日(日)まで開催します。前・後期合わせて体験画約90点を展示します。
また、5月25日(土)午後1時30分からは、「長岡空襲の体験を聞く会」を開催します。皆様のお越しをお待ちしています。
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