最終更新日 2018年5月27日
本日、長岡開府400年記念式典の開催にあたり、ご多忙のなか、国会議員、県議会議員、市町村長の皆さまをはじめご来賓の方々、また日頃より長岡のまちを支えてくださっている企業・団体の皆さま、地域の代表者の皆さま、そして長岡の歴史にゆかりの皆さまなど、多くの方々のご出席を賜りありがとうございます。実行委員会の会長として、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。
長岡市は、長岡開府400年、戊辰戦争150年の節目の年を迎えました。
長岡の歴史を振り返りますと、大きな挫折と復興の繰り返しでもあります。二度の戦災と幾多の自然災害。荒廃したまちにあって、この先どうやって生きていけば良いのか、不安と絶望の闇にあった時も、先人たちは、強い精神力で苦難を乗り越え、未来に向かって力強く立ち上がってきました。
長岡には、民は民の、官は官の立場で、お互いができることを精一杯やってきた「市民協働」の歴史があります。
そして、小林虎三郎が説いた「米百俵の精神」は、長岡の歴史的風土に培われ、私たちの心のよりどころとして、今なお受け継がれております。北越戊辰戦争に敗れ、焦土と化した長岡のまちに、支藩である三根山藩から見舞いとして送られた百俵の米を、長岡藩大参事の小林虎三郎は藩士らに分配せず、国漢学校設立の資金に充てました。
この故事は、作家・山本有三の戯曲「米百俵」によって広く知られるようになり、多くの人びとに深い感動を与えましたが、この「何事も基本は人。人づくりこそすべての根幹である。」という考え方は、現在の長岡のまちづくりにも活かされ、また、国内外の心ある人々のまちづくり、国づくりの指針ともなっています。
長岡藩が生んだ偉人の一人、河井継之助は言いました。「基本は公(こう)と明(めい)にあり。=私心を捨てて世のため人のためを思い、隠し立てをしないことが大切だ」。これは政治のことを言ったものですが、すべてに通じる言葉でもあります。
世界は今、大きく変化しています。10年先はおろか、1年先のことも予測できません。未知の社会が差し迫り、今あるものを続けても対応できない世の中になっています。まさに「世のため、人のため」に、ためらうことなく私たちが自ら変化することに挑戦する時がやって来ました。
この大きな変化の時代、予測不可能な時代において、これからの長岡を考える時、私たちがよって立つべきところは、やはり先人たちから受け継がれた「常在戦場」の覚悟と「米百俵の精神」ではないでしょうか。
前例のない困難をチャンスととらえ、記念すべき長岡開府400年を、あらゆる分野に新しい技術、新しい発想を取り入れて、「人づくり」と「未来への投資」に取り組む「新しい米百俵」のスタートの年にしましょう。
ここにお集まりの皆様、すべての市民の皆様の力を合わせて、長岡の未来を切り拓いていきましょう。
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