最終更新日 2021年3月5日
撮影時期:昭和20年(1945)11月頃
所蔵:長岡戦災資料館 カラー化:渡邉英徳
白線を左右に動かすと白黒とカラーを見比べることができます
戦禍の記憶 次代
1945(昭和20)年8月1日の長岡空襲の被害や復興した街の様子などを収めた白黒写真7枚が5日までに、人工知能(AI)の着色技術と空襲体験者の証言を基に初めてカラー化された。長岡市が東京大大学院の専門家、新潟日報社と共同で、実際に近い色合いを再現した。終戦から75年がたち空襲体験者が少なくなる中、記憶の継承に役立てる考えだ。
長岡空襲は県内唯一の大規模爆撃で、米爆撃機B29の焼夷(しょうい)弾により市街地の約8割を焼失し、1488人が犠牲になった。
写真は日中戦争開戦後の37(昭和12)年から、戦後復興期の55(同30)年までに長岡市などで撮影された。空襲で焼け野原となった市街地や出征する兵士と家族、復興を遂げた長岡駅前のにぎわいなどを捉えている。
同一の写真を白黒、カラーの両方で何度も学習させ、彩色のパターンを覚えさせたAIを使って着色。体験者に写真を見てもらって話を聞き、修正した。原爆投下地の広島などで同様の取り組みをした東大大学院の渡邉英徳教授(情報デザイン)が着色を担当。新潟日報社が聞き取りに協力した。
45年11月ごろに撮影された大手通りの写真は、道沿いに茶色のがれきが残る一方、空襲後に突貫工事で建てたとみられる建築物もあり、復興へ向かう様子が伝わってくる。体験者の証言から、通りを歩く女性の白いおんぶひもや衣服の色などを類推した。
市は写真を近く市内で展示し、来年にはウェブサイトでも公開する予定。市イノベーション推進課は「空襲体験者の心象風景や当時の出来事をよりリアルな形で見てもらい、次世代に記憶をつなぐ足掛かりにしたい」としている。
(新潟日報 令和2年12月6日朝刊1面より)
このページの担当