最終更新日 2021年3月5日
撮影時期:昭和20年(1945)10月下旬頃
所蔵:長岡戦災資料館 カラー化:渡邉英徳
白線を左右に動かすと白黒とカラーを見比べることができます
疎開児童 帰京前にパチリ
故郷に帰れる喜びの笑顔がより鮮明になった。長岡市柿町の広西寺の山門前に並ぶのは、東京から疎開していた駒沢国民学校の児童や教員ら約60人。終戦後の1945年10月ごろ、帰京を前に撮影されたものだ。
戦時中は戦局が悪化するにつれ、地方への集団疎開が進んだ。駒沢国民学校の卒業生がまとめた記録によると、同校から長岡への第1陣は44年9月。料理店などに分散して滞在した。緑に囲まれた広西寺では、子どもたちは毎朝近くの小川で洗顔し、キノコ採りを楽しむこともあった。
写真の女児は当時よく見られた紺色のセーラー服、男児はそろいのカーキ色の服を着ていたとみられる。地元の子どもは素足も多かったというが、前列の全員に履物が確認できる。
広西寺の前住職で当時14歳だった鷲尾公雄さん(89)は、本堂で児童が寝泊まりしていたことを覚えている。「親元を離れてかわいそうで、こちらからは話し掛けられなかった。無事に帰ることができて本当によかった」と語った。
(新潟日報 令和2年12月6日朝刊13面より)
このページの担当