馬高・三十稲場遺跡(うまたか・さんじゅういなばいせき)は関原(せきはら)の南方に発達している信濃川左岸の河岸段丘上に小さな沢をはさんで東に馬高、西に三十稲場とわかれて所在しています。
馬高は火焔土器を出土した県内最大級の縄文中期の集落址でその規模は東西で150m、南北で250mあります。
この遺跡は近藤勘治郎・篤三郎父子による調査をはじめとして、これまでに多くの調査が実施され、多数の住居址や炉址とともに火焔型土器・王冠型土器、玉などの装身具、大形土偶などの生活や信仰に関係する遺物が多く発見されています。
馬高で生活した人々は次の縄文後期になると三十稲場に生活の場を移しました。
三十稲場は近藤氏父子やオランダ人グロートなどによって調査が行われてきました。
この遺跡は馬高と同じ規模をもつ大集落址で、ダルマ形の石囲炉や住居址、それに多くの出土品は馬高に勝るとも劣らない内容をもっており、馬高とともに新潟県を代表する遺跡です。
文化財指定
<種別>国指定 記念物 史跡
<指定日>昭和54年2月21日