(1845年~1868年)
山本老迂斎の養子になり、家老職を継いだ。
戊辰戦争では大隊長として奮戦。
会津飯寺の戦いで捕らえられ、西軍の勧める降伏を拒み続け、首を斬られた。
(1807年~1868年)
代々槍術をもって仕えた。
戊辰戦争では大砲隊長として蔵王方面で奮戦。
長岡城落城の際、城岡の土手で大音声に西軍を呼ばわり、2人を槍で倒したのち銃殺された。
(1835年~1897年)
洋学を志して江戸に遊学。
帰って藩政に携った。
花輪馨之進・渡辺進とともに長岡藩の三進に讃えられ、戊辰戦争では軍事掛を務めた。
後年石川県知事となる。
(1827年~1868年)
貧しい家計を助けるため山野で薪を拾い、河川で魚をとる。
長岡城奪還の際八丁沖の進入路を開いたが、発砲を禁じた軍令を守って、敵の保塁の前で戦死。