最終更新日 2016年4月1日
与板町
市町村の花 菖蒲
市町村の木 桜
与板町は、新潟県のほぼ中央に位置し、東には信濃川を望み、西には三島丘陵の緩やかな山林を背景とした、水と緑に囲まれた町である。長岡ICから車で約20分、中之島・見附ICからは車で約15分、JR長岡駅からバスで約40分の距離にあり、都市近郊と自然が融和した住みよい町でもある。
「与板」という名称の起源ははっきりしないが、康平3年(1060年)の越後地図には「與田」、寛治元年(1087年)には「與板」と図示されている。また、今からおよそ5千年前より与板の丘陵地帯において、すでに人々による営みが行われていたということが徳昌寺遺跡などによって知られている。
戦国時代に入ると、上杉謙信公の家老直江公が本与板城へ入城。その後、戦国武将三傑の一人といわれる直江山城守兼続が与板城の城主となり活躍した。
江戸時代に入ると牧野氏、とりわけ井伊氏の長い治世の間に街道の要衝として繁栄し、越後屈指の豪商なども活躍する。信濃川河川交通の利点を活かし、与板の商工業はここに大きく成長した。現在の町並みはこの頃に形成された城下町の名残である。
幕末、戊辰戦争には、多くの犠牲を払いながらも明治の時代を迎え、廃藩置県により「与板県」となる。その後新潟県に合併され、昭和30年の町村合併で新しい町制を施行し、一部編入・分町を経て現在に至る。
産業面では、戦国時代に端を発する越後与板打刃物が、江戸時代の豪商の出現により全国にその名が知れ渡るようになる。現在も大工道具の主産地であり、昭和61年には伝統工芸品に指定された。また、平成8年には交通の利便性を活かして優良企業が進出し、雇用機会、就業の場の増大に貢献している。
観光面では、240年余の歴史を持つ十五夜まつりや明治時代の豪商の別荘である「楽山亭」のライトアップが行われている。また、町の中心を流れる旧黒川堤防に造られた河川公園は、町の木・花である桜と花菖蒲が植栽されており、そのほかにも様々な遊具、スポーツ施設が設置され、週末には多くの家族連れでにぎわっている。
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