最終更新日 2019年11月18日
山古志村
市町村の花 はぎ
市町村の木 ぶな
山古志村の歩みと性格
山古志村は新潟県のほぼ中央に位置し、面積39.83k㎡の周囲を山々に囲まれた全国的にも珍しい一郡一村の村である。
古くは天領として桑名藩下にあった古志郡であったが、明治4(1871)年の廃藩置県によって柏崎県に含まれ、同6年には新潟県と柏崎県の合併により、新潟県の管轄となった。昭和31(1956)年3月、昭和の大合併により広大であった「古志郡」の多くは長岡市、栃尾市等に集積し、残った種苧原村、太田村、竹沢村、東竹沢村が一つになり新しい村として誕生した。同年、旧太田村の蓬平、濁沢、竹之高地地域が長岡市に、旧東竹沢村の芋川地域が北魚沼郡広神村にそれぞれ分離合併し、現在に至っている。村名は、古志郡の山間に位置し山古志郷の通称があったことや、親しみやすく郷土愛を表すものといった理由で山古志村となった。
山古志村は錦鯉の発祥の地であり、伝統に磨かれた養殖・飼育技術で優れた品種を生み出している。最近では、アメリカやヨーロッパなど世界中に数多くの優秀鯉が輸出され、世界にはばたく「やまこしの錦鯉」として重要な産業となっている。農業では厳しい地形的条件の中、棚田やはさ木などの伝統的景観が保護され、地域特性を活かした農業経営が行われている。また、「棚田や棚池の景観」は日本の伝統的農村風景として全国的な評価を得、多くの写真家がその撮影に訪れている。
本州で唯一伝承されている「牛の角突き」は国の重要無形民俗文化財に指定されており、その勇壮な様子は、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』にも登場するなど、およそ1,000年の歴史を持っている。牛をむやみに傷つけることなく、戦いが最高潮に達した時に引き分けるのが特徴である。現在も5月~11月にかけて毎月1~2回、牛と勢子による勇壮な、古式そのままの角突きを見ることができる。クリーンなイメージが受け、近年では若い年齢層の人も数多く観戦に訪れている。また日本一の規模と言われる「手掘り中山隧道」は、その資料価値と山に立ち向かった先人たちの偉業が注目されている。
山古志村が形成された歴史図
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