最終更新日 2016年4月1日
三島町
市町村の花 カタクリ、ハナミズキ
市町村の木 杉
三島町の歩みと性格
三島町は、新潟県のほぼ中央に位置し、美しい自然と歴史に恵まれている。町の起源は相当古く、上杉謙信以前より立派に集落を形成していた。天命年間には脇野町に幕府の公領として代官所がおかれ、その支配下に発展してきた。明治の中頃には町村制施行により、現在の町村の基礎となる脇野町村、吉川村、上岩井村、天津村、大都村、日吉村となった。その後も合併を繰り返しながら、昭和9年に脇野町村は町制を施行し脇野町となり、昭和30年には大津村との合併により三島町が誕生した。また翌昭和31年には日吉村も合併し、現在に至っている。
当町の人口は、町村合併直後の昭和35年には8,130人であったが、昭和55年には6,828人まで減少した。しかしその後、土地区画整理事業による宅地造成と企業誘致により、その成果が現れ年々上昇傾向にある。平成12年度国勢調査人口では7,618人であり、近隣市町村の人口が減少する中で、当町は着実に人口が増加している。
産業面では、古くから町の基幹産業として稲作を中心とする農業が位置付けられている。また、今から約160年前に脇野町村の中屋庄兵衛が製造を始めた脇野町鋸などの金属製品や、酒、味噌、そうめんなどが町特産品として生産されている。近年では、農村地域工業導入実施計画による企業誘致により、一般機械や食料品などの工場が建設されている。
当町は、観光資源として有名な施設等はないが、国重要文化財の木造親鸞聖人坐像や県天然記念物の蓮花寺の大杉など、歴史的な文化財や史跡が多くあり、また、西山連峰など緑豊かな自然や醸造業・製麺業など伝統ある地場産業が息づいている町である。
三島町が形成された歴史図
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