最終更新日 2016年4月1日
越路町
市町村の花 ホタルブクロ
市町村の木 モミジ
越路町の歩みと性格
越路町は、越後平野の南西端に位置しており、信濃川と渋海川に育まれ、この二大河川沿いに拓けた町である。
大和・奈良時代は、古志の国、越後国古志郡に属していたとされ、室町時代は上杉家の領地となり、その後天領や長岡藩領、他藩の所領となるなど、幾多の変遷をたどってきた。明治維新を迎えるときは、来迎寺地区と岩塚地区が長岡藩、塚山地区が上之山藩、石津地区と不動沢村が天領となっていた。廃藩置県後、柏崎県を経て、新潟県に属した。明治時代の合併再編で4か村となり、昭和の大合併で越路町が誕生した。この二年後刈羽郡千谷沢村の一部を編入して現在に至っている。
越路町の町名は「越の国に通じる路」というこの地域の古名にちなんで命名された。
産業面では、信濃川の左岸や渋海川沿いに拓けた肥沃な耕地では米作が古くから行われていた農業の町、米どころである。現在は、ほ場の土づくりに力を入れ、東京都と有機農産物等流通協定を結び、高付加価値の米づくりに取り組んでいる。町内に立地する企業には、この良質な越路産米を原料にした清酒で県下一の生産高を誇る酒造会社、全国に商業展開している米菓会社やテニス・ゴルフ用品で世界のトップを歩むスポーツ用品メーカーがある。また、琴の生産地としても知られ、それぞれの企業が国内外で確固たる地位を築いている。近年は、工業団地の造成に伴い中小の企業進出もみられ、農工商の調和がとれた田園都市として発展している。
観光資源としては、越後最古の民家で重要文化財の長谷川邸や、紅葉が美しいもみじ園、日本四大稲荷の一つといわれる宝徳山稲荷大社などがある。また、蛍舞う里としても知られ、観光と環境保護のシンボルとなっている。現在、町内小中学校と企業も加わって、蛍の保護運動を行なっており、豊かな自然を大切にしたまちづくりが進んでいる。
越路町が形成された歴史図
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