栃尾紬は、製糸に出来ない玉繭を真綿にし、それを紬いで織ったものですが、長年に渡り改良を積み重ね、糸織りを主としながら玉糸や節糸を用いるなどの工夫がこらされた絹織物です。一見すると、綿織物のようですが、絹特有の光沢があり、しぶく目立たないために、凝った趣向とすぐれた品質が評判となり、主として江戸の町人の伊達者間で賞用されました。
栃尾郷では、農家の副業として、殆ど全域にわたって生産されていました。例えば、田之□の黄縞(きじま)未納、森上の無地(むじ)、荷頃の干筋(せんすじ)、中野俣の鼠縞(ねずみじま)、一之貝の絣(かすり)、赤谷の大柄(おおがら)、栗山沢の黒地(くろじ)、黄格子(きごうし)、黄八丈(きはちじょう)などです。
そして、縞物にしても、万筋(まんすじ)、千筋(せんすじ)、小立(こだつ)、中立(なかだつ)、大立(おおだつ)、大明、滝縞(たきじま)などがあり、それが色や縞柄で、いろいろな名称がありました。他に横切(よこぎり)、此手(このて)、壱崩(いちくずし)、見甚、絣(かすり)、利久(りきゅう)、綾(あや)といった具合です。紬の仲買人は、このような織物の見本を農家に示して、織らせていました。
指定の標本は、40枚80頁からなる冊子で、1頁につき12駒の標本が貼られ、合計で797点です。まさに、栃尾紬を知る上で貴重な資料です。
※指定の文化財はいたみが進んでいるため、写真は個人所有の標本を使用させていただきました。
<長岡市指定文化財>