卯香女(うこうじょ/うこうめ)は本名を佐藤りさといい、文化14年(1817)福島県の生まれです。若い頃から画才に長じ、のちに桃里亭(とうりてい)と号しました。
東中野俣の俳諧師長山と緑があってこの地に来ました。
卯香女の流派は中国南北派(漢画系統)といわれ、彼女が師事した佐久間雲窓、寺沢綾湖らの作風を受け継いでいます。
卯香女の作品は1・2の人物画を除いてほとんどといってよいほど花鳥画です。これは雲窓が生涯花鳥画を描き続けたという影響を受けたからでしょう。
新山に残されている守門神社の奉納画は、この神社の格天井(ごうてんじょう)に描かれ、他の画家の作品にまじって卯香女の画があります。
ほとんどが得意の花鳥画ですが、ただ1枚だけ山水画があります。荒いタッチは若い頃の作品かと思われますが、彼女が残した唯一の山水画として珍重されるべき作品です。
幸いにもここに残されている卯香女の作品は貴重なものとして良く保存されています。
卯香女は夫長山の死後生国に帰り、明治29年(1896)に没しています。