「追分け」とは分かれ道、すなわち分岐点のことです。人通りもない山中での分かれ道は、旅人にとって大きな不安の一つでした。この分岐点に建てられたのが通称「追分け地蔵」と呼ばれている道しるべ兼、供養碑です。旅人に道案内をするばかりでなく、事故にあった人の冥福を祈る当時の人たちの深い思いやりが偲ばれる地蔵です。
栃尾地域の菅畑の大倉原に、塩川方面と樫出方面、それに菅畑を結ぶ三叉路があります。この分岐点に建てられている当地蔵尊は、追分け地蔵としては栃尾地域で最も古いものです。光背の高さ78㎝、像高42㎝、蓮華台12㎝、両手首の部分が欠けていますが、像は施無畏印(せむいいん)の印相をした延命地蔵と思われます。
光背の上部中央に「村心」、下左右に「右ハほん志ゆ(本所)通」「左ハかし出(樫出)通」と刻まれているほか、建立年月日、施主願主なども銘記されており、それによるとこの地蔵は、延享2年(1745)9月24日に菅畑の有志「権三郎、孫太夫、助八、才三郎」らによって建てられたもので、願主は「万日」であったことが知られます。
こうした道しるべの追分地蔵は、なくなる一方の旧道の存存を確認するための重要な手掛りとなっています。
<長岡市指定文化財>