<初雪の栃尾城跡>
威風堂々とした堅固な山城の形態を
はっきりと見ることができます。
上杉謙信公は享禄3(1530)年1月21日、長尾為景の子として春日山城で生まれました。母は栖吉城主長尾房景の娘です。生まれた年が庚寅だったので、干支にちなんで幼名は虎千代と名付けられ、元服して景虎といいました。永禄4年32才で関東管領上杉憲政の家を継いで上杉を名乗り、元亀元年41才で謙信と称しました。
この時代は室町時代後半、南北朝期から戦国時代に当たります。
そのころの越後は守護上杉家の支配するところとなり、守護代長尾氏が越後の経営にあたっていました。栃尾城主は古志長尾氏の重将が代々つとめてましたが、下克上の波がひたひたと押し寄せてくる中で、長尾為景を中心にして越後は戦乱の渦に巻き込まれ、栃尾城は新しい時代に向かってきしむ、歴史の歯車のひとつとなっていったのです。
初めて栃尾にきた時期については諸説ありますが、門察年譜によると幼少のころ、栃尾宮沢の瑞麟寺を訪れたという説があります。
虎千代が栃尾に預けられた理由は、当時の栖吉城主長尾十郎景信は母親の兄であり、虎千代にとっては伯父にあたる人で、長尾家の重臣本庄実乃が栃尾城主であったこと、そのほかにも親戚や知り合いが多かったこと。そして、瑞麟寺の門察和尚が名僧であったため、和尚の元で学問をすることが最大の理由と考えられます。