第6回 人生最良の日
▲清兵衛の功績を称えて、
地元与板で毎年開催されている
「中川清兵衛ビールフェスタ」。
中川清兵衛の家庭生活
▲明治21(1888)年3月30日
清兵衛と子供全員
陛下がお代わり
清兵衛に生涯最良の日が訪れました。明治十四(1881)年八月三十一日、開拓使麦酒醸造所は明治天皇の行幸をお迎えしたのです。明治時代の人間にとって天皇陛下は、直接見たら目がつぶれると言われる神様のような存在でした。
場内御通覧の後、清兵衛が陛下のためにビールを注ぎます。それは清兵衛自身がドイツから持ち帰った大ジョッキでした。
陛下から重ねての御所望がありました。つまり、もう一杯お代わりを、と言われたのです。
十六歳で与板を飛び出し、命がけの密航。英国では職にあぶれ、ドイツでは厳しい徒弟修業。日本でのビールづくりも苦難の日々でした。
それもこれも、陛下がお代わりを所望された、この一事だけで報われたのです。
北白川宮殿下との再会
天皇行幸の際に清兵衛を一層喜ばせたのは、ベルリンで玉突きやボウリングを一緒に楽しんだ北白川宮能久親王殿下が同行していたことでした。
留学中の殿下と一歳年下の清兵衛が知り合ったのは、ともに二十代後半であった明治七(1874)年前後と推測されます。皇族と庶民が親しく遊ぶなど、当時は考えられないことでした。異国だからこそ実現した奇跡でしょう。
殿下も六年ぶりの再会を喜び、陛下の宿舎である豊平館を抜け出して、おしのびで中川家を訪問してくれました。ビールを痛飲してドイツでの思い出を語り合い、そのままお泊りになったそうです。
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