(1858年~1919年)
安政5年、長岡市浦の真宗大谷派慈光寺の長男として誕生。
10歳から石黒忠悳のもとで漢学を学び、新潟学校第一分校(旧長岡洋学校)で洋学を学ぶ。明治11年、東本願寺の留学生として上京し、明治14年に東京大学文学部哲学科に入学。
明治、教育界においても「欧化主義」「実学主義」がもてはやされた時代に、井上円了は「哲学」を標榜し、「哲学会」を創設する。そして、「ものの見方・考え方」の基礎を身につけることが日本の近代化につながると確信し、私立の教育機関創立へと行動を起こす。そして明治20年(1887年)、井上円了は若干29歳という若さで「私立哲学館」を創設、現在の東洋大学の誕生です。東洋哲学としての仏教の興隆に尽力した。
教育者、哲学者、心理学者である井上円了は、明治21年、たったひとりで海外視察を3回行った世界旅行者であり、民衆へ哲学と普及させた生涯学習のパイオニアでもあります。明治23年から大正8年までの、のべ27年の間に、全国各地を巡回し一般民衆を対象に講演活動を行いました。また、迷信打破を説いた妖怪学者としても有名です。